山中放浪 今日出海(こんひでうみ)
- 2019/02/04
- 19:57
山中放浪 私は比島戦線の浮浪人だった (中公文庫) 今 日出海 (著)

昭和19年12月末、報道班員として派遣されて来たマニラは、東京では想像もつかない戦場と化していた。ルソン島を敗走北上する日本軍にまじって、飢餓と弾雨さらされながら死の山岳州に入る。台湾に奇跡の脱出をして生還。内地にも終戦2か月前に帰還した。
明治36年(1903)、函館に生まれる。昭和3年、東大仏文科卒。学生時代から演劇活動に参加する一方、「文芸都市」「作品」「行動」などに、評論、随筆、翻訳を発表する。14年、明治大学教授。19年12月末、報道班員としてフィリピン・ルソン島に渡り、敗走する日本軍とともに5カ月間、山中を放浪後、台湾に奇跡の脱出をして生還。25年、「天皇の帽子」で直木賞受賞、43年、文化庁の設立にともない、初代長官に就任、47年、国際交流基金理事長となり、文化芸術の国際交流に尽力、53年、文化功労者として顕彰。昭和59年(1984)、死去。
艦長です。この本は古い本です。
書かれたのが昭和24年ですから、戦争終わって4年後ですね。
なかなか今は使うことがない漢字が少なからずあって・・
スマホで検索しながら読み終えました。
なんかこうね、すごいですよ。
この方は軍人ではないので、それだからこそ帰還できたのかな。
それも奇跡といっていいほどの運の良さというか僥倖のたまもの。
ルソンから不時着した陸軍の偵察機に同乗できたなんて小説もどきっすよ!
文庫版ができるにあたって書かれたあとがきには
山中放浪で書けなかったエピソードが語られています。
是非機会があったら読んでみてください。落涙必定。胸打たれます。

昭和19年12月末、報道班員として派遣されて来たマニラは、東京では想像もつかない戦場と化していた。ルソン島を敗走北上する日本軍にまじって、飢餓と弾雨さらされながら死の山岳州に入る。台湾に奇跡の脱出をして生還。内地にも終戦2か月前に帰還した。
明治36年(1903)、函館に生まれる。昭和3年、東大仏文科卒。学生時代から演劇活動に参加する一方、「文芸都市」「作品」「行動」などに、評論、随筆、翻訳を発表する。14年、明治大学教授。19年12月末、報道班員としてフィリピン・ルソン島に渡り、敗走する日本軍とともに5カ月間、山中を放浪後、台湾に奇跡の脱出をして生還。25年、「天皇の帽子」で直木賞受賞、43年、文化庁の設立にともない、初代長官に就任、47年、国際交流基金理事長となり、文化芸術の国際交流に尽力、53年、文化功労者として顕彰。昭和59年(1984)、死去。
艦長です。この本は古い本です。
書かれたのが昭和24年ですから、戦争終わって4年後ですね。
なかなか今は使うことがない漢字が少なからずあって・・
スマホで検索しながら読み終えました。
なんかこうね、すごいですよ。
この方は軍人ではないので、それだからこそ帰還できたのかな。
それも奇跡といっていいほどの運の良さというか僥倖のたまもの。
ルソンから不時着した陸軍の偵察機に同乗できたなんて小説もどきっすよ!
文庫版ができるにあたって書かれたあとがきには
山中放浪で書けなかったエピソードが語られています。
是非機会があったら読んでみてください。落涙必定。胸打たれます。

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