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[ 2019.09.14 ] 空母艦爆隊 山川新作

2019.09.14 10:35 | EDIT
空母艦爆隊―艦爆搭乗員死闘の記録 (光人社NF文庫) 山川新作 (著)

空母艦爆隊 山川新作

日米海軍が総力をあげて戦った空母決戦の先鋒となり、一降下必中のダイブにかけた空の猛者―初陣の一弾を真珠湾の戦艦に叩きつけた急降下爆撃機パイロットが、瞬刻に形勢を転じる最前線の実像を描くノンフィクション。極寒のアリューシャンから炎熱のソロモンへ、非情の空に生きた艦爆搭乗員の感動の空戦記。

山川新作
大正9年、高知県に生まれる。昭和13年6月、佐世保海兵団に入団。翌年、第48期操縦術練習生として霞ヶ浦海軍航空隊に入隊。15年10月、空母「飛龍」乗組、太平洋戦争開戦時、「加賀」より真珠攻撃に参加、「龍驤」「春日丸」「隼鷹」などに乗組。終戦時、海軍飛行兵曹長。昭和30年、航空自衛隊に入隊。45年、日本航空に入社、操縦教官、航空大学校教官の後、53年より地上勤務となる。現在、東日本航空専門学校校長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)



艦長です。艦長文庫からの再読です。
艦爆搭乗員が終戦まで生き残ったことがすごいです。
99式艦爆も97式艦攻も鈍足で撃墜されやすかったのは事実ですから。
それも真珠湾攻撃からの操縦員だったというから!
平成18年享年87歳だったそうです。

靖国神社の遊就館で著者が搭乗していた彗星艦上爆撃機が
実際に見られます。零戦に比べたらはるかに大型ですね。
※写真は実際に艦長が撮影したものです。↓


彗星 遊就館

艦上爆撃機「彗星」
 九九式艦爆の後継機種として1938(昭和13)年に航空技術廠が開発を始め、ドイツ製の液冷式DB601エンジンを国産化した離昇出力1200馬力の「熱田」を搭載し、引き込み式の主脚、胴体内爆弾倉など洗練されたスタイルを実現した。試作機は40(昭和15)年に完成し、最大速力は零戦を上回る時速552キロ、航続距離も3890キロと九九式艦爆の2.5倍を超えた。
 ただ、液冷式エンジンは製造が難しく、不調が続いた上、主脚の引き込みや急降下制動板、爆弾倉の開閉などを電気操作式にしたことなどから故障が多かった。このため、海軍は爆撃機としての採用をためらい、42(昭和17)年にまず二式艦上偵察機の名称で制式採用した。二式艦偵は実戦にも参加したが、偵察機としてはそれなりの性能を発揮した。翌43(昭和18)年には艦上爆撃機「彗星」としても制式化されたが、稼働率が極めて低く、エンジンを生産性の高い空冷式の「金星」に換装した改良型に移行した。これらを含めて2000機以上が生産されたものの、戦局の悪化を食い止めるような働きはできなかった。写真は金星エンジンに換装した彗星三三型 【時事通信社】




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沖田根銃創艦長

Author:沖田根銃創艦長
沖田根銃創です。よろしくお願いします。
2000年11月7日にFrontPage Expressで作った最初のサイト「コジロウハウス」を発進させ、なんとかここまでやってきました。幾多の出会いと別れ・・・。いろいろ経験できました。最初の飼いウサギ「コジロウ軍曹」をダシにして(笑)宇宙戦艦ヤマトのパクリサイトの性格でしたが、いつしかコジロウ軍曹のサイトになりました。軍曹は2004年の7月に8歳で星になり、後釜のウサギのコジタ兵曹は2017年の1月21日12歳8カ月で逝きました。現在、当ブログでのみ情報発信。本館の「沖田根中佐の航海日誌」は運用を終了しました。

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