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蟻の兵隊
蟻の兵隊 日本兵2600人山西省残留の真相 (新潮文庫) 池谷 薫 (著)

昭和二十年八月、日本は無条件降伏した。だが彼らの帰還の道は閉ざされていた!北支派遣軍第一軍の将兵約二六〇〇人は、敗戦後、山西省の王たる軍閥・閻錫山の部隊に編入され、中国共産党軍と三年八カ月に及ぶ死闘を繰り広げた。上官の命令は天皇の命令、そう叩き込まれた兵に抗うすべはなかったのだ―。闇に埋もれかけた事実が、歳月をかけた取材により白日の下に曝される。
「このままでは死んでも死に切れない!」敗戦から3年半以上も中国共産党軍と死闘を繰り広げた彼らを最後に待ち受けていたのは、司令官の裏切りと「逃亡兵」の汚名だった。ポツダム宣言受諾後も上官の命令に従い、蟻のごとく黙々と戦闘に明け暮れた。彼らに、敗戦後の死闘という不条理を強いたのは誰だったのか? 祖国のために戦い、長い抑留生活を経て帰国した「蟻の兵隊」たちを、なぜ国は逃亡兵として冷酷に切り捨てたのか?あれから60年余が過ぎた今、生き残った元残留兵らの執念が、歴史の闇に葬り去られた驚愕の真実を暴き出す! 2006年夏、異例のヒットを記録し話題となったドキュメンタリー映画『蟻の兵隊』。映画では語り尽くせなかった日本軍山西省残留問題の全貌にあらためて迫った衝撃のノンフィクション。
艦長です。この物語はまったく知りませんでした。
でも、ありうる話だとは思いました。やりきれない内容です。

昭和二十年八月、日本は無条件降伏した。だが彼らの帰還の道は閉ざされていた!北支派遣軍第一軍の将兵約二六〇〇人は、敗戦後、山西省の王たる軍閥・閻錫山の部隊に編入され、中国共産党軍と三年八カ月に及ぶ死闘を繰り広げた。上官の命令は天皇の命令、そう叩き込まれた兵に抗うすべはなかったのだ―。闇に埋もれかけた事実が、歳月をかけた取材により白日の下に曝される。
「このままでは死んでも死に切れない!」敗戦から3年半以上も中国共産党軍と死闘を繰り広げた彼らを最後に待ち受けていたのは、司令官の裏切りと「逃亡兵」の汚名だった。ポツダム宣言受諾後も上官の命令に従い、蟻のごとく黙々と戦闘に明け暮れた。彼らに、敗戦後の死闘という不条理を強いたのは誰だったのか? 祖国のために戦い、長い抑留生活を経て帰国した「蟻の兵隊」たちを、なぜ国は逃亡兵として冷酷に切り捨てたのか?あれから60年余が過ぎた今、生き残った元残留兵らの執念が、歴史の闇に葬り去られた驚愕の真実を暴き出す! 2006年夏、異例のヒットを記録し話題となったドキュメンタリー映画『蟻の兵隊』。映画では語り尽くせなかった日本軍山西省残留問題の全貌にあらためて迫った衝撃のノンフィクション。
艦長です。この物語はまったく知りませんでした。
でも、ありうる話だとは思いました。やりきれない内容です。

零式戦闘機
零式戦闘機 (新潮文庫) 吉村 昭 (著)

昭和十五年=紀元二六〇〇年を記念し、その末尾の「0」をとって、零式艦上戦闘機と命名され、ゼロ戦とも通称される精鋭機が誕生した。だが、当時の航空機の概念を越えた画期的な戦闘機も、太平洋戦争の盛衰と軌を一にするように、外国機に対して性能の限界をみせてゆき……。機体開発から戦場での悲運までを、設計者、技師、操縦者の奮闘と哀歓とともに綴った記録文学の大巨編。
艦長です。ネタバレになりますが、著者は出来上がった零戦を飛行場のある場所まで48時間かけて牛車や馬車で運んだという事実があったからこそ、この物語を書いたと言っていたそうです。最新鋭の戦闘機とそれを牛車・馬車で運ばざるを得なかったこのアンバランスな事実・・・。悪路を進む疲れきった牛や馬たち。終戦後は牛はすべて死に絶え、馬は十数頭しか残らなかったという。インフラを整備しようとする発想もなかったのか・・あまりにも日本的か?解説にもありましたが、零式戦闘機は日本人そのものだったと・・。本の最後の場面は焼け跡の工場から引き取られていく痩せ細った馬たちを見送る三菱の運輸課長が言った「大事にしてやってくれ」
艦長は涙が出ました。

昭和十五年=紀元二六〇〇年を記念し、その末尾の「0」をとって、零式艦上戦闘機と命名され、ゼロ戦とも通称される精鋭機が誕生した。だが、当時の航空機の概念を越えた画期的な戦闘機も、太平洋戦争の盛衰と軌を一にするように、外国機に対して性能の限界をみせてゆき……。機体開発から戦場での悲運までを、設計者、技師、操縦者の奮闘と哀歓とともに綴った記録文学の大巨編。
艦長です。ネタバレになりますが、著者は出来上がった零戦を飛行場のある場所まで48時間かけて牛車や馬車で運んだという事実があったからこそ、この物語を書いたと言っていたそうです。最新鋭の戦闘機とそれを牛車・馬車で運ばざるを得なかったこのアンバランスな事実・・・。悪路を進む疲れきった牛や馬たち。終戦後は牛はすべて死に絶え、馬は十数頭しか残らなかったという。インフラを整備しようとする発想もなかったのか・・あまりにも日本的か?解説にもありましたが、零式戦闘機は日本人そのものだったと・・。本の最後の場面は焼け跡の工場から引き取られていく痩せ細った馬たちを見送る三菱の運輸課長が言った「大事にしてやってくれ」
艦長は涙が出ました。
